数式で見る おまけ付き
五感で感じるものがこの世の全てだと思っていた高校生の時,数式で整頓された世界を見た.
学校で習う授業では数学は数学,理科は理科,美術は美術と独立したもので,せいぜい理科で少し算数を使う程度のつながりしか感じなかった.さらにこの世の中を表現する術は国語の授業の作文が主で,ひたすら作文を書かされた.きっとこれは私だけでなく,他の人も同じだろう.(ほかにも美術の時間で景色を描く時はあった.)
では数学や算数ではどのようなどのようなことをしたのだろうか.点Pが図形の上を走ったり,xやyの値を求めたりと日常生活ではお目にかかりそうもないもののように見える.
一方理科はどうだろう.教科書をめくると,いろいろと文字や公式が書かれている.これを求めたいならこうしましょう,とマニュアルじみたもので楽しくない.問題を解いて,おしまい.
私自身も,問題を解いて,答え合わせをして,間違いを直して終わり,といったことしかしていなかった.実際学校で生きる分には成績さえどうにかなれば,どうとでもなるのだ.こんな理科や数学で遊ぶより,言葉で遊んだり,絵を描いたり,ギターを弾いたほうが人生を謳歌できそうなものであるし,自分を表現して形にする楽しさもある.
そんな風に考えていた時,『新・物理入門』という参考書に出会った.この本は,ほかの参考書とは異なり,問題の解き方に焦点を当てるのではなく,所謂公式を導出することに焦点を当てた本である.初めてこの本を読んだときの衝撃は,今でも鮮明に覚えている.既知の数学で,バラバラの公式を編み上げた完成形は高級な絨毯を連想させた.感動した私はその過程を一つ一つノートに書き写し,わからない数学はネットで調べて,何度も繰り返し読んだ.
しかし学べば学ぶほど底が見えなくなるのが勉強である.特に物理は広く深い世界で,教科書に載っていない現象も,どのような数式であらわされるのか気になって,しまいには物理学科へ進学した.現在も大学に在学中で見たい景色を見られたわけではない.しかし一歩ずつその景色に近づいている(と思う).
おそらく中学,高校で挫折した人もこの記事を読んでいるかもしれない.もしそうなら一度気軽に「式を追う」ことをやってみてほしい.今はわからない数学の範囲もネットで調べれば,懇切丁寧な解説がある.数学で語られる世界の構造は,もっとも物理に限って言えば美しさを感じられるだろう.(ちなみに使う本は大学で使う「古典力学」(単純に「力学」と表記されることが多い)の本がいい.『ファインマン物理学』の1巻がおすすめの一つ.)
おまけ Amazonのリンクでおすすめの物理学の本をあげる.
- 作者: ゴールドスタイン,サーフコ,ポール,Herbert Goldstein,John Safko,Charles Poole,矢野忠,渕崎員弘,江沢康生
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最後の2冊は少し難しい内容だが,式が非常に丁寧に書かれているの頑張れば読める(かもしれない).
また物理学の読み物のおすすめ
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科学崇拝
「この製品は科学的に効果が実証されました!」という売り文句を目にしたことはあるだろう.素晴らしい売り文句だと思う.もうそれを使えばもう科学的に素晴らしいことが起きて,科学的に成長できるだろう!だがそこで言っている科学とは何だろうか?きっと白衣を着た研究者がなんかよくわからないけどフラスコやら顕微鏡を使って作り出した絶対に正しいものと考えているのではないだろう.もしくは学校でかつて経験した理科の授業をイメージするのだろうか.いずれにせよそのような認識の上で科学を崇拝しているのであれば,いいカモであると自覚したほうがよい.
そもそも科学で証明とはどういうことだろうか?科学は絶対に正しいものだろうか?結論から述べると,科学は絶対に正しいとは言い切れないが,すべてが全くの見当違いだということではない(疑似科学は科学ですらない).すなわち科学は現実に対していい近似であるということだ.
例えばある理論があり,それに対して多くの実験結果が理論に沿ったものだとしよう.なるほど,その理論はどうやらいい感じだぞ.しかし一つでもその理論に反する実験結果がでたとしよう(これを反証という).その実験を何度も再現してもどうもうれしい結果がでない(再現するためには厳密なデータ,気温や場所などが必要だ.).そうしたらその理論はでたらめなのか?いやそんなことはない.少し荒い近似だっただけなのだ.このようなことは実際に起きている.古典力学(高校まででならった力学)が最も有名な例だろう.これはマクロな視点で,光速に近づかなければ十分よい記述をしてくれる.しかしミクロな視点になったり,亜光速で運動する物体となると使えなくなる(前者は量子力学,後者は相対性理論が必要).
ではここで”科学的に効果が実証されました”の意味を考えてみよう.おそらくその製品がまともな企業ならば十分な証拠(論文やレポート)を示している.それがないならば疑ってかかったほうがいい.その証拠を確認したうえで,効果を期待してみる(おそらくマシな結果を得られるだろうが).科学に対する信仰心なんてこの程度にしておいたほうがいい.
おまけ
これは上の記事にあまり関係がないがついでに書く.
よく学術用語のでたらめな使い方を本気でしている人がいるが,それはやめたほうがいい.難しい言葉を使えば確かにかっこいいし,頭がよくなった気がするだろう.しかし意味を知っている人からすれば滑稽極まりない.(逆によくわかっていない人を騙しやすい,疑似科学の常套手段に思える).まず知らない用語が出てきたらしっかりと調べたほうがよい.
※この記事は脳内エントロピーを刺激し,デトックスを促進させるため成績を向上させることが科学的に実証されていますが,その確かさは不確定性原理によってこれを保証するものではありません.
物理学との向き合い方 高校生に向けて
自分は今,物理学科に所属している大学生だ.こんな学科に所属している人間だからさぞかし生まれた時から物理大好き人間であって,物理が嫌いな人間の気持ちなど知らないわからないんだろう!と思う読者も多いのではないだろうか.確かに物理は大好きだが,これは生まれ持った性格というわけではない.
高校生の時,私は物理の教師が嫌いであった.いや教師が嫌いというよりも,その教師が教える物理の流れが嫌いであった.考えても見てほしい.例えば古典力学という分野が物理学にある.この分野では主に物体の運動を追っていくものであるが,その挙動が変わるたびに新しい"公式"を覚えさせられた.そしてテスト当日にはその"公式"で答えをだす.まあ定期試験では珍しいことではないだろう.ほかの理系科目(例えば数学や化学)においても公式を上手に使えればそれで点数はとれるし,満足できる.だがこれが面白いかと言われれば,まったく面白くない.どうせ試験明けにはきれいさっぱり忘れて,次の試験のために容量を確保してしまうだろう.
もっと嫌いな人間の気持ち,すなわち理系科目そのものが無理だという人の気持ちになってみよう.この手の人は数学に嫌悪感を覚えてしまっていることが多い.数学の前に習う算数では数字が与えられて,それを計算することで答えを導くことができた.この計算は日常生活で頻繁に使うもので,すんなりと(無論,低学年の頃は苦労しただろうが)受け入れられただろう.しかし中学に入って,方程式というものを習うと「もうダメだ,xとかyとか一体なんだ?なにか特別な意味があるのか?」と拒否反応をおこし,数学を拒絶するのだろう(もし違うのであれば教えてほしい).さらに悪夢なのは,学年が進むにつれて複素数や微分積分学など日常生活とはよりかけ離れた存在がでてくるのだ.苦手になった本人からすれば,地球で生きていたのに,突然別の銀河から襲撃を受けるようなものだ.最悪な気分だろう.算数の延長線上(正しくは算数が数学の一部だが)であった数学でさえ異世界からの襲撃であるならば,物理学なんて比べ物にならないほど拒否感をおぼえるだろう.
おそらく物理学が嫌いな人のタイプはこの2つのタイプにわかれるだろう.この二つのうち,後者に当てはまり,なおかつ「できなくていいわ!数学も物理も!」と思っている人は一生分かり合えないからこれらにかかわらないほうがストレスもたまらないし,そもそも関わらずとも素晴らしい人生を送れるだろう.一方,改善したいと思っている人たちは,言葉の意味(例えば変数や定義域など)をしっかりと説明できるようにすること,そして初めから深く考えすぎないことをおすすめする.そもそも物事には証明しようのない最低限のルールというものがある.理数系の科目においては定義や原理などがそうだ.ここら辺の話はもう哲学の話だろう(世の中の根本は不動の動者らしい,知らんけど.ただここら辺の話は科学史を勉強してみるとなかなか面白かったりもする).
さて,前者についてだが,このように思う人はおそらく数学は苦手意識がないという人が多いだろう.数学と物理,一体どこで差がついてしまったのだろうか.私は,式の導出の有無が原因だと考える.じゃあ悪いのは教師か?と思いたくなるが,少し待ってほしい.そりゃすべての教師に原因がないとは言えないが,面白く物理学を教えられるように努力している教師も大勢いる.だが数学ほど正確な証明を展開してくれる教師は少ないだろう.それも仕方がない.なぜか不思議なことに(おそらく学習指導要領から外れる内容を必要とするからか.),高校では微積分を用いて物理の議論を展開することはルール違反なのだ.
ここでいきなり微積分の話が出てきて意味が分からないぞ?と思う人もいるだろうが,そもそも微積分と物理学は切っても切り離せない関係なのだ.物理学の議論は微積分で)展開されるものであって,公式をパズルのように当てはめて組み立てるものではない.つまり微積分を用いて式を導出している本で物理を学べばきっとその流れの美しさやつながりに感動して物理学科に行きたくなるだろう.(実際にそれで私は物理学科に行った!)
よくこの手の話であげられる本として『新・物理入門』や『理論物理学への道標』があげられる.個人的には,原康夫著の『物理学基礎』もお勧めする.
最後に,よく受験などで微積分を使うかどうかという話をよく聞きます.これに関してはあまりおすすめしない.というのも受験は時間との勝負ということがあります.「は?じゃあ公式暗記でやったほうがマシじゃねぇか!」という人もいるでしょう.そういうやり方でもいいですがその時は物理を勉強していると勘違いせずにパズルを解いてると思ったほうがいいです.つまり言いたいことは,まず微積分を用いた議論をしっかりとやる.そうすると公式も導出できるようになる.この後で公式をパッと使えるようにすることが物理学を楽しく勉強できる方法だと思います.
この記事はあくまで私の考えに過ぎません.それゆえ鵜呑みにせず,自分の考えもしっかりと持ったほうがいいです.